最近、遊び一般に関する本を読んでみたのだけど、ボウリングがそこで書かれているどの分類ともしっくりとあてはまらないように思っている。自分の感覚ではあるのだけど、そんな話を書いてみたい。
ボウリングはスポーツなのか?
言葉の捉え方ではあるのだけど、遊戯とスポーツは異なると考えたときに、スポーツという言葉には競技という競い合いという要素が含まれる。例えば、ゴルフなんかは割と、競技として捉えて、複数人で誰が一番スコアがよいのかを競う。ボウリングもグループで遊んでいるときは、一定、その要素があるのだけど、一人でやっていても面白いという部分がちょっと違うように感じる。プロの大会とか競技ボウリングは、スポーツで間違いないと思うけど、ここでは個人でやる遊びのボウリングを考えている。
遊戯というと、遊びなので、特定の目的はなく、本能的に楽しいと思ってしまうようなものになる。TVゲームとかがそうなのかなと思うけど、ボウリングのTVゲームをやっていてもそんなにはおもしろくない。
ボウリングの遊戯としての楽しさはどこにある?
競技の中にある不確定要素(レーンのオイル状態の変化など)を対応できたときや、コントロールや球速など理想の投球を目指す上達の楽しさという側面もあるのだけど、それだけでもないように思う。
ボウリングの歴史を考えると、最初は、木の棒などを立てて、石を転がして倒して遊んでいたように思うので、何かを投げてねらったところでうまくいくと楽しいという本能がヒトにはあるのかもしれない。狩の本能なのかなと思うけど、この面白さは、ダーツや、ビリヤードも近いかもしれない。
ただ、これだけもしっくりこない感じがしていて、少し考えて思いついたのが、音になる。ボウリング場は、多くのヒトがいて、結構、騒々しい。そんな中で、ボールがピンにあたって弾け飛んだときのカキーンという音は、とても気持ちよく感じる。この総合的な環境の中に自分が現実と切り離された状態にいることが、非日常としての楽しさを作っているのかもしれない。これはパチンコなどの楽しさと近いかもしれないと思う。
まとめ
ボウリングをやっているヒトの中には、イヤホンをして音楽か何かを聴きながら練習しているヒトもいる。集中して練習しているのかもしれないけど、楽しさは少し減っているのではないかなと想像する。それか、音だけでなく、ピンが弾け飛んでいる視覚で感じることも同様の効果があるのかもしれない。
何年もずっと、ボウリングをやっているのだけど、なんなら大会に出て投げるよりも一人で投げている方が楽しいなとも思う。ボウリング仲間とアメリカンでゲームをしているときは、競技に近いイメージで投げていて、この場合には、一人で投げているよりもさらに面白くなるように思う。まあ、まあ不思議に思ったので、こんな話を書いてみた。